謝るということ


あっという間の365日。

福島に住む私達には一言では言えない1年だった。
矛盾・不安・怒り・嘘・責任・人間・指導者・未来…こんなキーワードで誰もが気持ちの奥をひとしきり語れる経験をしたのだから。
一人の人間が生きて死ぬまで、誰かのお世話になったり工業製品やサービスの恩恵をうけて成長する。
高度成長期に小学生〜成人になった私は、その時代でいくつもの社会的な問題を見てきた。
その時代だからこその「公害問題」。そんなこと問題だとは思っていなかった会社は、気がつき改善努力して有害物質を出さないような工夫をしてきた。チクロという有害な甘味料やヒ素ミルク事件なんかもあったけれど、多くは改善し賠償、保証しその責任を果たしてきた。

一人の人間が生きていくことは間違いを犯し学習しながら成長することのようだ。
間違いをしたとき、私は親から「まず謝りなさい」と教えられた。皆、常識としてそう教えられてた。
それから「自分で責任をとれ」とも教えられた。そんな常識があって、いままでは社会が回っていたのだ。
ここからが言いたいところなのだけど、原子力発電事業を推進してきた歴代の内閣総理大臣、担当大臣、東京電力の歴代取締役の方々がまず、あやまるべきではないだろうか。
そして、福島の原子力発電の運転を許可した、現県知事「佐藤雄平」も県民にあやまったほうがいい。

なぜ謝らないのか謝らない側で考えてみると、「責任を感じていない」ということ。だから「ごめんなさい」が言えない。
これだとなぜ謝らないのかが納得できる。
じゃなぜ、「悪いのはオレじゃない」と思っているのか。
間違いをした仲間が複数いるからということだ。押し付け合いだ。
東電は「国が推進した原子力事業を実践しただけ」という気持ちだろうし、国は「間違いをしたのは東電だよ」と、福島県知事の佐藤雄平は「原発推進で私を選んだんでしょう。」と言っている。これでは謝る気はさらさらないだろう。

よくしたもので機会というのはそれなりのタイミングでやってくる。1年目というチャンスにこころから謝ってほしいと願う。そんなことで人はリセットできるのだ。
親から言われたことを、もうひとつ思い出した。

「謝るときは、時間をあけないですぐ謝るんだよ。」と。